「宝塚シャンソン化計画」宣言

第1章  なぜ、宝塚でシャンソンなの?

日本中をさがしても、宝塚ほどシャンソンが似合うまちって、あんまりないと思いませんか? 
それもそのはず。だって宝塚は、日本のシャンソン発祥の地なんですから。
 
宝塚歌劇(当時はまだ宝塚少女歌劇と呼ばれていました)が、記念すべきわが国初のレビュー作品「モン・パリ」を上演したのは、昭和2(1927)年9月1日のことでした。
そして、この「モン・パリ」は、日本で初めてシャンソンを広く紹介した作品としても知られているんです。
フランス遊学を終えた歌劇団の演出家・岸田辰彌氏が、当時のパリの香りをいち早く日本に紹介した本作は、迫力あふれるラインダンスや大階段など、現在ある宝塚歌劇のスタイルを決定づけた画期的な作品と言えます。
 
振り返ってみると、戦前期の西洋文化の受容は、必ずしも東京経由ばかりではなく、宝塚から始まったものも多いんですよ。レビューやシャンソン、オーケストラ、ミュージカルなどをいち早く取り入れ、日本に紹介してきた文化のフロントランナーが宝塚だったんです。
これって、けっこうすごいことじゃなかなぁって思うんですよ。
 
ちなみに、宝塚歌劇団では今でも、「モン・パリ」初演の9月1日を「レビュー記念日」としてお祝いしてるんです。(最近はあまり大規模なイベントをされていないのが残念なのですが…。)

<第1章 終>